めくるめくめるくまーる

前の日記(6/8) の続き、なんだか疲れてきた。
引き続き気分を害したくない人だけどうぞ。

ー近況ー

年初めの毎年恒例の親戚集会で元気だったじいちゃんが2日後に亡くなる。周りの人が死ぬことに対する耐性が出来てる感じが嫌だった。
家計支持者である、母ちゃんが36年勤めた(どんだけ鉄人だよ)会社の退社勧告を呑む。じいちゃん(母方)のこととダブルパンチで 、てんやわんやだった。大学に入ってから家族のありがたみに気付いてたつもりだったが、我が母の偉大さを理解する。
「そうだ、ヴァースはこんなにも雄大」的な。
妻の財政的献身に10年位頼りきりだった父、あんま笑えないくらい体にガタきてる母、なかなか巣立たない息子1、ヤバい国(Fiscally-speaking) に海外逃亡した娘、放蕩生活(リア充的な意味でなく)をおくる息子2
家族の全員が呑気というか、
そこまで悲観的にならなかったのをみて、なんか、
NK家に生まれてよかったなと思った。

ゴタゴタもあり、ゼミにあまり興味を示さず(これはひじょーに後悔)ノンゼミになってしまったので、バイトは激務にしています。とりあえず言いたいのは「閉店前に来るDQNとリア充爆発しる!!」

そんな家庭の混乱をよそに、道楽(非リア充的な意味で)息子2は図々しくも親の援助を勘定に入れて、留学をしたいとほざき始め、派遣交換留学(学費は免除で語学留学ではない!!)に応募。
KOさんはどうやらとち狂ったらしく、ゆとりの弊害の派遣を許可。
National University of Singapore
てとこに行けることになりました。
今年の8月から来年の5月まで(ちょwおま、就活ww)

まだ報告してなかった人ごめんなさい。
一応連絡先載せます。敢えて載せたのは、誰からも聞かれないことを恐れたためww

シンガポール行くくせに、中国語まったくやってないのと金融の授業とか一切とらないってとこはゆとりのチャームポイントってとこで、御愛嬌。

母ちゃんがMUSASHIのジョイントサポート(余ってたのあげた、もう使わないから)毎晩飲みながら就活(ただただ感服)やら婆ちゃんの世話に奮闘する中、旅立つのはドラ息子といえどやはり心苦しい。
頼みのMT会給付金からも冷徹な宣告を受ける。
ただまさにこの時期に華僑のダイナミズム(って何なの、おいしいの?)を感じとれるのはありがたいと思うので、がんばりたいと思います。

ーこれからー

上との兼ね合いもあり、4年で卒業できるかびみょーなのですが(はなから言い訳しててごめんなさい母ちゃん、一緒にES作成しましょうOrz そして経済学部の差別的待遇に憤慨、法とか文のゆとり具合なんなの?)、就活のフォーラムにも参加し始めました。といっても話聞くだけ。最初は人の多さと月日の流れの早さにゲンナリした。ただ茶番も一生懸命演じてみるとなかなかに奥深そうで面白そう。

金融だけは選択肢として除外しており話半分に聞いていたが(多かれ少なかれマル経の影響を受けたのは確か、ろくに分かりもしないのに)、ほかは食わず嫌いせずに広ーく浅ーくお話を伺ってみた。(就活のシステム自体はアホラシイとは思うが、社会人への尊敬は欠いてないつもり、働くことを知らずに経済を知り尽くしたみたいに語っちゃう人も見てきたし)
漠然とした(金融)コンサル商社外資傾倒の思考停止状態には陥って無かったとは思うが(主にスペックと実力不足というのを認識していたため)、色んな業界のほんの触りを聞くだけでも知らない事だらけでした。
しかし、 実際働いてみないとわからん??
わざわざブース出してくれてるような企業なんだもの。(だからOB訪問とか重要なわけね。。) むしろPR向上のためにきてるようなトコもあったし。
周りの人を見ても、知的ハンデはもちろんの事、見た目や社交性(覇気とか身長とか体格とか話し方とかオドオドしてない感じとか)的長所が皆無なのはイタい。長所として自負しているスマイルも、某カレー店ではクレームの対象だし(きっと見ててイライラするんだろうね)。

小手先で志望理由をごまかせるような甘いもんでないのは承知。ただ幻想を抱きすぎていると入ってから痛い目にみるので、とりあえず精神的タフネスをつけることに当分は終始する(という大義名分の下に、何もしないだけ、Orz)。

「御社の事業のダイナミズムとOB訪問の際の人の魅力に惹かれ….くぁswでfrtgyふじこlp;@:…」
みたいな人の魅力もあるが(ちょっとオイラには肉食系過ぎるよーな)、自分はもっとナイーブな世界じゃないと生きていけない気がした。
かといって創造性(笑)もあるわけでもなし。
ーー脱線ーー
個人的な私見だけど、うん千年人間の歴史があってアイデアなんてだれかが絶対先にツイートしてるだろうから、少なくとも文系の人はオリジナルになり得ない希ガス。#創造性

別にいいじゃないか、競争のないブルーオーシャン。やっぱり資本主義は爆発すべk…略

やっぱし根幹に立ち返ってみると(というかもう疲れた)、
シンプルな答えにしかたどりつかない。
ー結論ー
ヒトには救われてきた、今後も引き続きお願いしたい。
(無宗教)

専売特許の軌道修正(基本ベクトルは下)が続くのは明らか。
その度にとってつけたような言い訳や正当化も懲りずにあれこれ思案することでしょう。
ただこっから棺桶までの貴重な時間、自分の心に忠実でありたい。

ー添削ー
論理的整合性に欠ける。というかそれ以前にまったくもって意味h…略ゆとり批判の格好の的となるようなナイーブな理論武装の耐久性を試すリトマス試験ではHP(ペーハーにかけてるつもり)削られる事でしょう。
でも最初の職は3年は続けたい。
どっかの陳腐なベストセラーの括りにカウントされるのはごめんこうむりたい。

思ひ出マインドマップ(回顧するだけ編)

うちのマンションを右に出て40mくらい行くと、4階建てくらいのマンションがある。
屋上付近に時計があって多分小3(1998年?)くらいの時にそのマンションが出来てからずーーっと動いているんだな。
「ちゅらさん」がやってたとき(小5くらい)は、全部観てから学校行ってて、放送終了(08:30) と同時に授業始まるからやっぱり、走るんだよな。で、そん時いつもそこの時計見て、焦るわけだ。
「もう38分(8時)ですか」とか。
いつ気づいたのか覚えてないけど、その時計5分位進んでるって気づいてそっから社長出勤に拍車がかかった気がする。
よく考えてみると、
中学、高校、大学1、2年と朝の通学の都合上、ずーーっと左に曲がってたから
(朝以外はふつー時間気にしないからか)、その時計あんま視野に入ってなかったわけだ。10年位。

この4月から右に曲がるようになって、気づいたのは45分位進んでるわけだ、その時計が。てか何で動いてんの?電池?
ちょいちょい加速してるなと小学校時代からおもってたけど、なんかノスタルジックになった。

自意識過剰(敏)なもので、
自己分析なんかとうの昔から(中2くらいから)やっている。
最初に断っておくけど、この日記そーとー気持ち悪くなることうけあい。
まともな感覚の人はゲロゲローとかオロオローってなると思います。
ただ自分だと八(視野的な意味で、下から上)になりがちなので、
思い切って吐き出してみる。
暇な人だけ読んでください。
誹謗、中傷、プギャー、かさぶたを抉るようなコメント、発見、励まし、提案etc
全て歓迎光臨。

ーOYMハッピーロード時代ー

生まれの故郷。まったく覚えてません。ただ、今も好きな町です。

ー保育園時代ー

MGDに移行。3歳くらい。前のアパートは覚えてない。5歳くらいから現在のマンション(といっても現在築40年くらい)に移動。やっぱあんま覚えてない、NKT人生史上最大、そして最新のモテ期到来。これははっきり言えるw
お母ちゃん連中つながりの幼馴染とは、よくあそんだ。縁日が楽しかった。
将来の夢はマックスの運転手。てかマックスてこんな昔からあったのね。
家族旅行で北京にいった際に空港のエスカレーターから転げ落ちて額パッカーて割って血がビャシャーて飛んだ(らしい)。中国人のCAさんが空港内の病院に繋いでくれるなど色々な方に大変お世話になった/ご迷惑お掛けした。この時の業の借金があるので、善行慣行を心掛けているわけなのです。額にはハリーポッター如く傷が今も残る(そして誕生日もハリー少年と偶々同じ)

ー小学校低学年時代ー

幼馴染と清里高原に行って、はしごの上から降ってきた1人の下敷きとなり意識を失う。肩骨折。
入院してた時の「はやく戻ってきてね」的な文集は未だに捨てられない。
小2の頃には、1組(こちらは2組)のジャイアン的な人に左目を割り箸で刺される。間一髪。 多分「ブタ」とか言ったんだろうな。因果応報。
ただ今のモンスター達に、我が両親の寛大さを見習わせてやりたい。
育成室(学童保育)のメンバーとの時間が異常に楽しかった。奥多摩のキャンプの興奮は、日産のCMなんかでは収まりきらない。伊豆のグランパルも楽しかった。85°くらいの滑り台があった。
「いっくん」ていうホームレスのおっちゃんとも下校中仲良くなった。どうなっちゃんだろうか今。最近知遅れの人とかが町にいないのは何故か寂しい。
将来の夢はスポーツ選手だった気が。

ー小学校高学年時代ー

クソガキの一言。4年の頃はかわいかった。近所の公園でひたすら走った後、ポケモンとかテリワンとかやる毎日。
5年から入ったサピックス(塾)でおかしな影響を受ける。明らかに写真の自分がかわいくなくなる。ただ楽しかったのはホント。なんかイカレた事すれば、それでよかった。親の金食いつぶすクズ。帰り道のために通ってた気がする。
5,6年は学級崩壊に加担してしまった。高2のくらいの時に担任の先生に謝る機会が取れたのは、何の埋め合わせにもならんが、こちらとしては報われた。まだ先生続けてくれててよかった。
卒アル曰く、将来は「楽になりたい」との事。
この時からすでに安定志向。

ー中学校時代ー

当然の如くツケを払う羽目に。世界は自分を中心に周ってないことをようやく気付かされる。人付き合いがわからなくなる。
軽くハブられてたよーな、てないよーなww認知的不協和をもたらす記憶はかなり抹消されたので良く憶えていない。
シニカルの種はここで撒かれた。
帰宅部。NRM君にインスパイアされた映画(名画座を周る始末)とラーメン屋開拓が趣味。
腐っていく自分に焦燥を感じ始め、3年は帰宅部(と卓球部)連合的なものを形成。
居場所がある感じが心地良かったし、素直に楽しかった。
学業の面では、中1で「x」と「y」の存在に対し哲学的アプローチを試みて以来、数学(多分テストで2ケタ取った回数より1ケタの方が多い。その中でも0が最多)以外もまったく振るわず。学校で下から数えて片手で収まる圏内だった。
将来はあんま考えてなかった。

ー高校時代私立編ー

トラウマといっていいのか、素晴らしき日々と称するべきかわからない。人生を大きく左右した最大のジャンクチャアであることは、今後も揺るがない。
帰宅部連合内で人間味を取り戻しつつあった自分は、ひょんなことから記念祭(文化祭)でパスタを作ることに、メンバーは校内でもイケイケな面子だったので、かなり不安があったが、案外すんなり自分を受け入れてくれたことが非常に嬉しかった。
そんなこんなで、水球に出会った。
一発でヤられた。
憧れから、後先考えず入部した。
底辺から這い上がってくのは、辛い以上に楽しかった。先生を始め、全ての人がスゴかった(スキルの点のみではなく一人の人間として)。問題は自分がメンバーとしての勘定に入ってから。次第に足を引っ張ってるっていう感覚が浸食…
これは人生史上最大の不協和をもたらし、かなりの消去と改編が加わっているため、省略。てかあまりにトラウマなので、自分では引っ掻き回せない。
憧れから始まった7ヵ月くらいは、向こうにとっては甚だ迷惑極まりなかった(もしくはどうでもよかった)だったろうけど、こちらが得たものは計り知れない。そして失ったものも。

ー高校時代都立編ー

高一の三学期に編入する。私立から都立へ。尋常じゃないほどの自己嫌悪と感謝を引っさげて。
チームへの憧れは引っ剥がせなかったようで、ラグビー部に入部。
まさかのデジャブー。
自分の葛藤と逃避を正当化するために、とってつけたような行動をしてた気がする。それで「葛藤してるんだからしょうがない」って自己催眠をかける感じ。被害者ぶってれば同情をかけてもらえるとでも思ってたのか。
なんかもう救いようない感じだった。でも生活は続く。けどやっぱ最終的にやっぱりヒトのデカさに救われた。

一方で、も一つアイデンティティを作ってて(かなりもう一方に侵食されてたが)、そっちは気ままに過ごした。高校生の終了が「子供」の終わり的なイメージがあったから、最後の時間を惜しむ感じで。楽しかった。基本的に「楽しい」って感覚は小、中、高、そして大学でもベースは同じな気がする。独りよがりな恋もしました。今となってはいい思い出。
この時の将来像は教師(中学以上)が中心。ほかにも色々あったけど。

高2の2月に幼馴染(梯子から降ってきた)の母ちゃんと高3のクリスマスイブにお婆ちゃん(父方)を亡くす。記憶がある内では初めて身近なヒトが亡くなった。どちらも弱っていく様子を見ていたのが堪えた、元気な頃を知っているだけに。言わずもがな、いいモンではないが、周りの人(自分を含め)の思いがはっきり伺える瞬間はぐっとこみ上げるものがある。

ー大学時代ー

自分の中で高校と大学の間に線引きしてて、かなりドライな感じ(でも当たり障りなく)で過ごそうと決めていた。なんか一緒に馬鹿やったりして成長していくっていうプロセスが好きで、大学はみんなそれを終えた人が集まってるってイメージがあったから。「わざわざペルソナ被って無理しなくていいや、大学デビューなんてダメ、絶対」的な。中二病とはちょっと違うと言い張りたい。

チームスポーツは自分のしょーもなさ加減にいい加減飽き飽きしたので、最早考えなかった。ただ何かしらの身体修練(と書くと妙に聞こえがイイのは何故)を続けることはハッキリ決めていたので岩登り(という名の人口壁登り)を始める。
良くも悪くも結果は自分にしか返ってこない、ってとこに惹かれた。2年次まで没頭。キャンパス変わってから、お金と時間の関係でめっきり行かなくなった。目に見えて退化してきているのはほんと悲しい。
一年の夏合宿中に先輩が8mくらいから落ちたのを間近で目撃したのにはマイッた。両手骨折で済んだのは不幸中の幸い。とりあえず安心。ただ、この事件を通して体育会が如何なる組織なのか垣間見えた気がする(決して悪い意味だけではなく)。

授業の関係で実際のホームレスと関係の団体に色々とお世話になる。前出の「いっくん」との交流があり抵抗は無かったものの、一歩引いて見ている自分がいたのは確か。キャリア選択の基準としての「やりがい」のウェイトの重さを再確認。
柄にもなく学生会議も覗いてみた。所謂「純ジャパ」コンプレックスが強化された一方、かなり良い刺激をもらったが、やはり自分の身の丈を知るいい機会でもあった。

ー中間総括ー

人生における1年のウェイトが保育園では5分の1、小学校では10分の1とかだったのが、もう20分の1年。
これがいわゆるなんちゃらかんちゃら逓減てやつか。(ミクロ再履です、ハイ。ただこの事は高校の時に気付いてた。)
ひたすら年取るのがコワい時期もあったが、若さは心の持ちよう次第と信じれるようになってきた今日この頃。ただカラダはそーいうワケではないのねOrz
人生に一貫性なんてどこにもなかったから、なんかまとまらん。
とりあえず、一息置く。
日課のシエスタを3日分くらい返上。
はたして意味はあったのか。